Kuwaken blog
日々是奮闘記
「あたりまえ」と「有り難う」
井村清和という医師が、幼い娘さんと、これから生まれてくる娘さん宛に送った手記のなかに「あたりまえ」という詩があります。彼は、医師として多忙な日々を送っていた時に、右膝の癌が見つかり、膝から切断を余儀なくされました。その後、非常にも癌が両肺に転移、31歳の若さで亡くなりました。この「手記」は、闘病中に、幼い娘さんと、まだ見ぬ出産前の娘さんのために、父親として生きた証として残したものだそうです。
「あたりまえ」の反対は「有り難う」です。「ありがとう」の語源は「有り難し」が変化して「ありがとう」になったそうです。「有り難し」は言葉のとおり、「有る」ことが 「難しい」ということで、「めったになく貴重である」といった意味を表しています。いま、目の前にある「あたりまえ」がどんなに幸せなことか。
「あたりまえ」は、これから先もずっと続くものと信じたいですが、そんな保証はありません。「一寸先は闇」なのです。
「あたりまえ」と「有り難う」
彼は、「あたりまえのことがすばらしい。でもみんなは決してよろこばない。そのありがたさを知っているのは、それをなくした人たちだけ」と。
「あたりまえ」を「あたりまえ」とすることなく「有り難う」の感謝の気持を持って
井村清和:昭和54年1月没 享年31歳
あたりまえ
こんなすばらしいことを、みんなはなぜ喜ばないのでしょう
あたりまえであることを おとうさんがいる
おかあさんがいる
手が二本あって、足が二本ある。
いきたいところへ自分であるいてゆける
手を伸ばせば、なんでもとれる
音が聞こえて、声が出る
こんなしあわせはあるでしょうか
しかし、だれもそれをよろこばない
あたりまえだと、わらって済ます
食事が食べられる
夜になるとちゃんと眠れ、そしてまた朝がくる
空気をむねいっぱいにすえる
笑える、泣ける、叫ぶことも出来る
走り回れる
みんなあたりまえのこと
こんなすばらしいことを、みんなは決してよろこばない
そのありがたさを知っているのは、
それを無くした人たちだけ
なぜでしょう あたりまえ
「悲しいことに、私はお前たちが大きくなるまで待っていられない。これは私が父親として、おまえたちに与えうる唯一の贈り物だ。さようなら」
「ご安全に!!」
「梅雨明け宣言」
気象台は17日、「九州南部が梅雨明けしたとみられる」と発表しました。
平年より2日遅く、昨年より8日早い梅雨明けだそうです。
「梅雨明け宣言」、「宣言」するのだから確定日だと思っていたのですが、実は速報値(速報値とは確定される前に情報として用いられる値のこと)で正確な梅雨明け日は、秋頃に発表されるらしいです。
さて、これからが夏本番です。
体調管理、熱中症対策など、万全の体制で、仕事に臨みましょう。
「ご安全に!!」
「Y様邸 地鎮祭」
7月11日(木)、あいにくの雨にもかかわらず、Y様邸の地鎮祭を滞りなく執り行うことが出来ました。
よりによって地鎮祭に雨が降るとは・・・
そう思いがちですが、実は、雨の日の地鎮祭は縁起が良いと言われています。
「雨降って地固まる」ということわざがあるように、地鎮祭で雨が降ることは縁起が良いとされてます。
「雨が降り込む」・「幸福が降り込む」・「富が降り込む」
雨の日ではありましたが、晴れやかな気持ちで、地鎮祭を無事執り行うことができました。
地鎮祭とは、建物の起工にあたり、家を建てようとする土地を守る神様に土地を使わせていただくことの許しを頂くとともに、工事期間中の安全祈願と、家族が幸せに暮らせるように、その土地を清めていただく儀式です。
「今日という日は二度とやってこない。今が一生に一度きりの時間、出逢い」
私達は、まさに「一期一会」の気持ちを忘れずに、最後まで一生懸命仕事をさせて頂きます。宜しくお願いします。
「ご安全に!!」